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菜根譚 その1

最近読んだ「菜根譚」中国明末の清言の書より

 心に残ったものを原漢文は難しいので語釈のほうを紹介します。

 ※清言とは、儒仏道の三教を修めた士が、処世訓、世の真理を、
 文学的表現を用いた語録のかたちでまとめた書のこと。

  温情の厚いときに、昔から、ややもすれば思わぬ災害を生ずることが多い。
 それ故に、恩情が厚くて得意な境遇のときに、早く反省して後々の覚悟をしておくが
 よい。また物事は失敗した後に、かえって成功の機をつかむことが多い。
  それ故に、失敗して思うにまかせぬときにこそ、手を放し投げ出してしまってはならない。

  この現世に処する心構えとしては、できるだけ心を広く開放して、不平不満を抱いて嘆く
 人がないようにするのがよい。また死後にまで残る恩恵については、なるべく長く後世に
 伝えて、人々に乏しいという思いをさせないようにするのがよい。

  狭い小みちのところでは、まず自分が一歩よけて、相手を先に行かせてやり、またおいしい
 食べ物は、自分のを三分がたへらして、相手に譲り充分に食べさせてやる。
  一歩を譲り三分をへらして与えるという、このような心がけこそ、世渡りの一つの極めて
 安楽な方法である。

  友人と交わるには、利害打算からでなく、少なくとも三分がたの義侠心を持ち合わせていなければ
 ならぬ。また、ひとかどの人物となるには、世俗に流されるのではなく、少なくとも純粋な一点
 の本心は残しておかねばならぬ。

  人から受ける恩恵は控えめにして、他人より先に取ろうとしてはならない。しかし人のためになる
 徳業は進んで行ない、他人に遅れを取ってはならない。また、人から受け取る物は、もらうべき
 であっても分相応を越えてはならない。しかし自分のなすべき行為は、分相応をへらすことなく、
 より以上に努力しなければならない。

  世渡りをするには、先を争うとき人に一歩を譲る心がけを持ちことが尊い。この自分から一歩を
 退くことが、とりもなおさず後に一歩を進める伏線になる。人を遇するには、厳しすぎないように、
 一分は寛大にする心がけを持つことがよい。この人のためにすることが、実は自分のためになる土台
 となる。

  他人の悪を責めて善に向かわせようとするとき、あまり厳しすぎてはならない。その人が、それを
 受け入れられるかどうかの程度を考える必要がある。また、人を教えて善をさせようとするとき、
 あまり高すぎてはならない。その人が、それを実行することができるかどうかの程度を考えて、
 実行できるようにしなければならない。
 
 まだまだためになる語録があるので、またの機会にご紹介します。

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